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A small planet小さな希望の惑星 Since 2005
シュタイナー学校に通っていました。今はベルリンに住んでいます |
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自分を教育する自分の習慣を替えられるのは、自分しかいない 自分を幸せにできるのも、自分しかないない 自分を教育できるのも、自分しかいない。 最終的に自分の人生に責任を持てるのは、自分の親友でも、大学の恩師でも、高校の担任でも、田舎のお爺さんでも、自分の親でも兄弟でもない、自分ただ一人なのだ。家族が見守ってくれた温かい家から巣立ち、自分の道を歩き始めた自分を信じられるのも自分だ。こうやって書くと、孤独な人に見られるかも知れない。それはそれでいい、最終的な見え方を決めているのも自分なのだから。本当の意味で「やりたいことをやれ」と自分に言えるのも、また自分なのだから。 出会うべき人に会うために、何をするべきなのか。 自分自身を教育するためには、何をすればいいのか。 自分のことは、自分で考える必要がある。 立ち止まって考えて観る価値は、あると思う。 学生らしく、学生に甘えず、頑張りたい。 Comment
hans (2013/01/14 4:06 PM)
コメント、ありがとうございます。
大きな意味を持つ言葉であるからこそ、その社会的な使われ方に気を配らないといけないのはごもっともです。ドイツに来て、自分と向き合う時間が増えたので、これまでの教育と、今の自分の状況を考えることが増えました。 個人的な見解ですが、外からの影響を受け続ける状態が、必ずしも素晴らしい教育であるとは思いません。その意味を反芻する、プロセスが必ず必要であると信じています。 お互いに頑張りましょう。また、会えるの楽しみです!! Trackback
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ふと、ここでハンスが使ってる教育って言葉に違和感を感じる人がいるんじゃないかと気づいてコメントしました。
「教育が悪い」とかの文脈での教育って言葉に潜む、何か洗脳的だったり、他者への依存心だったり、人のせい外のせいにして済ます感覚だったりじゃなくて、全てを受け止めて、自らの変容を常に意識させる意味での教育って言葉がやっぱり本来の意味だと思うし、その意味を社会が取り戻せたらなと思う。学ぶって言葉と共に。
その意味での教育には、ひとりで自分と向き合うことって凄い大切だと僕も痛感しています。お互い頑張ろう!